『息の跡』上映関連企画
『息の跡』とあわせて観たいおすすめ映画6選+『the place named』推薦文
date : 2017/06/10TAMA映画フォーラム実行委員会は2017年6月18日(日)に開催する特別上映会において、『息の跡』(小森はるか監督)を上映します。(『息の跡』上映会ページはこちら)今回の特集では『息の跡』に関連したキーワードをもつおすすめ映画6作品と、『息の跡』上映会時に関連作品として上映する小森はるか監督作品『the place named』を紹介いたします。
「語る/聞く」
『うたうひと』
(監督:酒井耕・濱口竜介/2013/120分)
『なみのおと』(2011)『なみのこえ』(2013)に続く東北三部作の第三作。前二作で東日本大震災の記憶を残すために被災者の“対話”を記録してきた両監督は、本作で直接の被災体験から一旦離れ、東北地方伝承の民話の語り聞かせにおける“対話”を記録する。時と場所を越えて伝承する民話の起点となる対話の瞬間を、両監督は創造的な方法で主観ショットのように切り取る。そこに現れる、ひとつの「語り」が「聞かれる」ことよって反響し幾重にも広がるような感覚とともに、観客は「語る/聞く」という日常的な行為の持つ豊かな可能性に改めて気づかされる。『息の跡』での佐藤さんの「語り」とカメラを持った小森監督の「聞く」の関係性、そしてその物語がスクリーン越しに私たち観客へ届くことについて考えてみると興味深い。(Y.M)
「表現」と「祈り」
『この空の花 長岡花火物語』
(監督:大林宣彦/2012/160分)
1945年の長岡空襲。2004年の新潟県中越地震。そして2011年の東日本大震災と新潟豪雨。数々の災害を乗り越えてきた新潟県長岡市で一人の女性新聞記者が不思議な体験を重ねていく。「まだ戦争には間に合う」という舞台劇と長岡花火が、空襲や地震の被災者への追悼、そして復興への祈りと解け合い、重層的な物語を紡ぐ。第4回TAMA映画賞最優秀作品賞受賞。従来の「映画」という枠を越えた様々な手法を織り交ぜたイマジネーションあふれる語り口。そこまでして表現せざるを得なかった大林監督の熱い想いは、一人の表現者による世界への祈りとして観客の心に響く。それは『息の跡』で震災体験をどうにか残そうとする佐藤さんの姿にも言える。必死の想像力が過去そして未来への祈りとなって拡がっていく。(Y.M)
「DIY」あるいは「ブリコラージュ」
『オデッセイ』
(監督:リドリー・スコット/2015/アメリカ/142分)
「火星の人」(アンディ・ウィアー著)が原作の奇跡のSFサバイバル映画。有人探査中の事故により火星にひとり取り残された宇宙飛行士(マット・デイモン)。彼は、4年がかりのNASAの救命を悲嘆にくれることなく待ちながら、その場にある設備や材料を駆使して生存に必要なものを生み出していく。水を化学的に生成し、その上何とジャガイモ畑までも。その驚くべきDIYぶりは、『息の跡』の佐藤さんにも当てはまる。彼は、津波で失った店舗の代わりにプレハブ小屋を建て、自力で井戸を掘り当てて水を確保し、たね屋を営んでいる。必要なものをありあわせの材料を使って手作りしている佐藤さんのブリコラージュ(器用仕事)。彼の身振りは、生き延びるための「藝術=技藝(アート)」である。(T.S)
「時を越えて語り/歌い継がれる」
『PARKS パークス』
(監督:瀬田なつき/2017/118分)
井の頭恩賜公園開園100周年記念映画。長年人々に愛されて来た公園を舞台に、時を越えた出会いの美しさを、様々な音楽やミュージカルと共に瑞々しいタッチで描く。吉祥寺で一人暮らしをする大学生の女の子(橋本愛)が偶然出会った高校生の女の子(永野芽郁)と一緒に人探しをする中で遭遇する、とある未完成の歌。その歌に心を動かされた彼女たちは、バンドを組んで曲を完成させようとする。 約半世紀前のカップルが歌った曲が、現在の人の心を動かし、それがアレンジされてまた歌われる。『息の跡』で自らの震災体験が綴られた佐藤さんの本もそんなふうに世代を渡って読み継がれ、数十年数百年先の人へと届いたらと、そんな期待が頭をよぎる。(T.S)
「土地の記憶」
『光りの墓』
(監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン/2015/タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア/122分)
『ブンミおじさんの森』(2010)でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したウィーラセタクン監督が、自らの故郷であるタイのイサーン地方を舞台に描く異色のドラマ。タイ東北部のかつて学校だった病院には、“眠り病”にかかった兵士たちがベッドで眠っている。病院のある場所は、かつて古代の王様の墓があった場所。当時の戦士たちの魂が現在の兵士たちを眠らせて、その夢の中で戦いを続けているという。病院の敷地を歩きながら、兵士を世話する女性ジェンに、特殊な能力を持つ女性ケンが、その場所で大昔に起こったことを話すシーンは、「土地の記憶」が呼び覚まされるようで興味深い。それは、『息の跡』で佐藤さんが現在の被災地と同じ地域で江戸時代に起こった津波のことを話すシーンと重なる。(T.S)
「土地の記憶」
『コロンブス 永遠の海』
(監督:マノエル・ド・オリヴェイラ/2007/ポルトガル、フランス/75分)
ポルトガルの巨匠オリヴェイラ監督作品。「新大陸発見で知られる冒険家クリストファー・コロンブスは、イタリア人ではなくポルトガル人だった」という新説に触発されて、コロンブス生誕の謎を追った研究者とその妻の半世紀に渡る旅。彼らが遠く広がる海を眺めてコロンブスに思いを馳せるシーンでは、現在の風景に壮大な時間が流れ込むようなアクロバティックな感覚が味わえる。このシーンもまた上記と同様、『息の跡』のかつて同じ場所で起こった震災のことを話すシーンを想起させる。この震災の記録は、当時来日していたスペインの宣教師が自国に戻って伝えたもの。佐藤さんが遭遇したその記録には、コロンブス=ポルトガル人説のように、地理感覚がぐにゃりと歪むような驚きがある。(T.S)
果てなき夜に、ありふれた人々の「声」が共鳴する
-もうひとつの『息の跡』
『the place named』
(監督:小森はるか/2012/36分)
あらすじ:
戯曲『わが町』(作:ソーントン・ワイルダー)をもとに、田舎町に生きる少女の一日の生活と、『わが町』第3幕の舞台稽古をしている劇団員たちが交互に描かれる。死者たちが生きている世界について話す戯曲の言葉は田舎町の日常に重なると共に、演じている役者自身にも投影される。役者とのプロセスの中で出来上がった作品である。
コメント:
『息の跡』では「記録」を通じて現在が過去と未来に開かれ共鳴するような瞬間が描かれるが、本作では二つの異なる世界の共鳴が描かれる。
ソーントン・ワイルダー作「わが町」は、アメリカ北東部の架空の町を舞台に、ありふれた人々の生活とその変遷が描かれた戯曲である。本作に登場する劇団員たちは、死者が生きている世界を想い悲しむその第3幕の断片を、しめやかに読み上げる。そこにそこはかとない鎮魂の雰囲気が漂うのは、抑制された声だけでなく、テキストを読む行為自体が、いわば死んだ声を生き返す行為でもあるからだろうか。
もう一方の田舎町の少女のパートに登場する夕闇を漂う赤いライトもどこか盆提灯のようであり、喪の雰囲気を感じさせる。こちらでは、8月の終わり、誰もいない教室を訪れる新任教師の彼女が過ごす一日をカメラが静かに見守る。
光と闇を捉えた美しいショットがゆるやかに呼応し、いつしか二つの異なる世界の声が、共鳴し始める。遠く離れた暗闇の先で、互いのこだまのように。観客は、身体を沈める劇場の暗闇の奥に、その果てなき夜の声を聞くことになるだろう(T.S)
『息の跡』イントロダクション
岩手県陸前高田市。荒涼とした大地に、ぽつんとたたずむ一軒の種苗店「佐藤たね屋」。津波で自宅兼店舗を流された佐藤貞一さんは、その跡地に自力でプレハブを建て、営業を再開した。なにやらあやしげな手描きの看板に、瓦礫でつくった苗木のカート、山の落ち葉や鶏糞をまぜた苗床の土。水は、手掘りした井戸からポンプで汲みあげる。
いっぽうで佐藤さんは、みずからの体験を独習した英語で綴り、自費出版していた。タイトルは「The Seed of Hope in the Heart」。その一節を朗々と読みあげる佐藤さんの声は、まるで壮大なファンタジー映画の語り部のように響く。さらに中国語やスペイン語での執筆にも挑戦する姿は、ロビンソン・クルーソーのようにも、ドン・キホーテのようにもみえる。彼は、なぜ不自由な外国語で書き続けるのか? そこには何が書かれているのだろうか?
監督は、映像作家の小森はるか(『the place named』、『波のした、土のうえ』※瀬尾夏美との共同制作)。震災のあと、画家で作家の瀬尾夏美とともに東京をはなれ、陸前高田でくらしはじめた彼女は、刻一刻とかわる町の風景と、そこで出会った人びとの営みを記録してきた。失ったものと残されたもの。かつてあったものと、これから消えてゆくもの。記憶と記録のあわい。そのかすかな痕跡とぬくもりを彼女はうつしだしていく。あの大きな出来事のあとで、映画に何ができたのか。そのひとつの答えがここにある。