特別上映会の作品は、通常公開作の中から実行委員が上映したいものを提案し、複数の案を比較検討し決定したものを上映していますが、『すべての夜を思いだす』は、主としてロケ地が多摩市ということもあり、配給のPFFさんの協力で劇場未公開作品の上映を実現できました。
多摩から本作を盛り上げていこうということで、単に作品の上映だけでなく、立体的なプログラムにすべくいろいろな試みを実行いたしました。
まず、トークセッションでは、本作監督で4歳まで多摩市で育った清原惟監督、多摩市在住の映画批評家・南波克行氏、落合商店街に建築事務所を構え地域の活性化に取り組まれている建築家の横溝惇氏、「ニュータウンクロニクル」の著者で小説家・劇作家の中澤日菜子氏、多摩のフリーペーパー「もしもし」代表の五来恒子氏という多摩縁の皆さまに参加いただき、各々のお仕事や多摩での経験を踏まえた発言で本作の魅力を浮き彫りにしていただきました。
二部構成で実施し、第1部は、清原監督、南波氏、横溝氏、第2部は清原監督と中澤氏、五来氏で各部とも多摩市在住の実行委員が司会を務めました。以下PFFさん作成のリリースより一部変更して引用掲載いたします。
※作品の内容に触れている部分もございます。まだ作品をご覧になっていない方は、ご注意ください。
――なぜ撮影地に多摩ニュータウンを選んだのでしょうか。
清原監督:私自身が幼い頃に多摩ニュータウンに住んでいたので、この街の風景が大切なものとして心に残っていて、いつか映画に撮りたいと思っていました。企画の変更があったのでそこからだと約5年の歳月をかけて制作しました。多摩の皆様に力をたくさん借りて撮らせていただいた映画なので、このように多摩で一足先に上映ができて、今日は本当に嬉しく思っています。
――今日は大きいスクリーンで映画をご覧いただきましたが、いかがでしたでしょうか。
南波氏:すごく楽しかった。この作品の見どころを私なりにお話しすると、多摩のある晴れた5月の一日の早朝から夜更け、つまり、一日の誕生と死を描いていることなんです。しかも、この一日が、ハローワークに行く女性の誕生日であることと、大学生の女性の旧友の命日であるということ。つまり同じ一日の中で、生と死、誕生日と命日という真逆のことを描いている点です。お誕生日パーティーのビデオをアナログからデジタルに変換しているカメラ屋さんのお兄さんが登場しますよね。しかもそのビデオ映像は、ホームビデオの誕生日パーティーなんです。けれど、お葬式や人間の死にまつわることは映像に残らない、残そうとしない。つまり誕生日パーティーはデジタルに変換してでも残そうとするけれども、死というのは見えなくなってしまう。そう思うとここではたくさんのことが頭をよぎります。そのお誕生日パーティーのビデオ、1985年から1996年くらいの過去30年から40年前の誕生日を撮っていて、そこでお祝いされていた子供たちは、今では30歳、40歳のいい大人になってるはずです。それを撮影したお父さん・お母さんは、もうお爺さん・お婆さんになっているかもしれない。その間には30年分、40年分の夜があったということです。まさにすべての夜を思いだす、そういう映画になっていると感じました。最後の方で、二人の大学生が花火をやっているシーンがあります。亡くなった旧友の命日を、敢えて言うと、祝っている。そこにふらっとやって来るのが、たった一人で誕生日を祝わなくちゃいけないハローワークの女性。ここは誕生日と命日、生と死という抽象的で真逆の概念を、ワンショットの中で可視化した恐るべきショットです。本当に凄いショットですし、映画全体をとおして、ものすごくイマジネーションを掻き立てられる構造に感動しました。
横溝氏:南波さんが今おっしゃったような物語的な構造と、清原監督が幼少期に過ごした多摩ニュータウンの思い出など、そういった色々な時間も含めたレイヤーのようなものが物語の中にすごく入っていて、それがニュータウンの構造とマッチして物語が展開している映画だと思いました。清原監督の映画はレイヤーを感じさせる作品が多いと思うのですが、この映画も動くシーンが多く、主人公たちがどんどん移動していきます。Aという場所からBという場所に行くレイヤーの構造というのがニュータウンならではの映画だなというのが感想です。
――南波さんと横溝さんのご感想について清原監督はどう思われましたか。
清原監督:すごい面白いというか、私もいろいろ気づきがあるお話でした。死は映像に記録されないというお話がとても印象深かった。そういえば、ニュータウンの計画された区画の中にはセレモニーホールのような施設が無いことに気づきました。ニュータウンの中で生活できるように計画されているはずなんですが、実は死はあまり可視化されていなかったんだなと。ニュータウンの街並みのクリーンさや、そういうイメージと、でもその中に人は生きているわけだから絶対に死はある、ということを考えたことを思いだしました。
――映画を作るためのリサーチはどのように行ったのでしょうか。
清原監督:物語には直接反映されていませんが、1970年~80年代に多摩ニュータウンに引っ越してきた女性の方々に話を聞きました。ニュータウンが出来たばかりで、一番盛り上がっていた時代の話を聞く中で、私が知っているニュータウンは時間が経って落ち着いてきた姿ですが、全然違う世界が広がっていたことを知りました。この映画では現代のニュータウンしか描かれていないのですが、横溝さんがおっしゃったようなレイヤーのようなものがその背後には常にあるというか、私たちの生活自体がそういうふうにできているというか、過去に生きてきた人たちの時間があって自分たちの時間があるということを、リサーチをする中で改めて実感し、そういうことが直接的だったり間接的に、この映画に活かされていると思います。
――この映画は音が印象的です。
南波氏:フィールドレコーディングという面では理想的な映画ではないかと思っています。私自身がこの近辺に暮らしていますのでよくわかるのですが、鳥のさえずり、木々のざわめき、車の音がかなり聴こえてくる。それを全て体感できるようにしている。これは、相当に力を込めて録音されたと思います。
清原監督:音響の黄永昌(コウ・ヨンチャン)さんが、撮影の合間に、本当にいろいろな音、ニュータウンで鳴っていたありとあらゆる音を採取してくれました。
――タイトルについてはいかがでしょうか。
南波氏:すべての夜を思いだす、ですよね。極端な話、4000年前の夜も思いださせられるのです。大学生の二人が、縄文文化を展示している埋蔵文化財センターを訪問するシーンがありました。そこに現在の多摩市と縄文期の同じ場所を重ねたパノラマ展示があってそれはまさに、4000年前の夜と今の夜が重なっているんです。大学生の二人は縄文時代の鈴の音も聞いていましたが、音が時空を超えて繋がっている、すごく意味のある場面だと感じました。
横溝氏:そのシーンにだけ、″ニュータウン″という言葉が出て来ますよね。あのシーンだけだったのは、何か意図があったのですか?
清原監督:あのシーンを書いていた時に″多摩ニュータウン″という言葉を出すかどうかはすごく迷いました。ニュータウンで撮ることは最初から決めてはいたのですが、どの程度を言葉で提示したり表現するかは重要だと思っていて、そもそも″多摩ニュータウン″の全域を撮っているわけでもないし、″多摩ニュータウン″は地図で書けるけどその囲ってしまったエリアのものだけではないような気もして。ただ、あのシーンは過去の″ニュータウン″について話すということで、言葉で定義してもいいのかなと思いました。
――「ニュータウンクロニクル」で同じように多摩ニュータウンを描いた中澤さんは、映画を観ていかがでしたでしょうか。
中澤氏:登場人物がやって来て、なにがしかのシーンがあって、その場からいなくなった後の風景がとても印象的だと思いました。普通は登場人物のカットや顔が映ることが多いと思いますが、この映画の場合は、街が主役だと思いました。この映画と私が書いた「ニュータウンクロニクル」の違いは、映画は一日という限られた時間で完結していますが、「ニュータウンクロニクル」、1971年4月1日の入居が始まった時から50年に渡って、多摩市あるいは多摩ニュータウンを描いた作品です。映画と重なり合うところと、まったく違ったところを見ているなという部分が多々あって、とても面白く拝見しました。
清原監督:私は映画を撮る前に多摩に関する書籍を色々と集めて、その中で「ニュータウンクロニクル」を拝読させていただきました。それぞれの年代の多摩の住人の日々がすごくリアルに描かれていて、私が経験していない昔の時代のこともあって、もちろんお話を伺う中で想像はしていたのですが、想像しきれない部分もあったので、この小説を読んでいるとその時代にタイムスリップしたような気持になり、その時代を体験できる貴重なものでした。
――多摩ニュータウンの方々を取材されている五来さんは、映画を観ていかがでしたでしょうか。
五来氏:多摩のフリーペーパー「もしもし」は、両親から継承して今では39年目になります。大好きな街である多摩ニュータウンを舞台に映画を撮ってくださってとても嬉しく思います。それをこのように先行上映という形で観ることができ、私自身も今日を楽しみにしていました。何度か試写する機会をいただいたのですが、観るたびに、登場人物に感情移入してしまい、ちょうど年代が重なっている部分もあると思いますが、時には切なくなり、時にはぷっと吹き出してしまったり。このように大きなスクリーンで音をしっかり聴くことができる環境で観ると、また新たな想いが沸き上がってきて、少しウルっと来たりしながら観させていただきました。商店街が舞台としてたくさん登場していることが嬉しくて。というのも、私が入社をして一番最初に上司である両親から言われた仕事が、商店街の取材だったんです。この街を支えてくださっている地域の商店主さんがあってこそのニュータウンということを、店主の皆様とお話するなかで強く感じたことがあり、この映画を拝見すると商店街の皆様のお顔がたくさん浮かんできました。
――印象に残っているシーンやお気に入りのシーンはございますか。
清原監督:お気に入りというのは難しいのですが、私がすごく好きなシーンは、主人公の知珠(ちず)が二人の大学生の花火を見る前に、お茶を飲もうとして、お茶が数滴しか無いシーン。主役の兵藤公美さんのお芝居が本当に素晴らしいということもあって、ただお茶が無いだけなのに、あの一日の色々なものをあのシーンが背負っているような感じがして。肉体的な疲れであったり、喉の渇きも感じるし、一日が終わっていくということをあのシーンですごく実感します。
中澤氏:大学生の女の子二人が花火をするシーンがすごく印象に残っています。花火は、色々なイメージが重なりあうものだなと思います。光っては消え、光っては消え、繋いでいかないと次の花火に火が付けられないとか、そういったところで、あの二人の関係性や、知珠という一人の女性が来た目的、歩いてきた時間、自転車に乗った時間が花火と重なり、頭の中に蘇って来る、とても好きなシーンです。
五来氏:知珠が、聖ヶ丘の友人のお宅に向かう時に携帯を見ながら、道ではなく山を上がっていき、開けた公園に出て、夏さんのダンスを見ながら踊るシーンがありますよね。ニュータウンにはこの山を登ったらどこに続くんだろうという光景がたくさんあるので、地図にはない道を行きたくなる気持ちや、山の木々の中を進んで行った時にぱーッと視界が開けてまたそこで新たな出会いがあるという、あのシーンがとても楽しかったですし、踊っている姿も面白かったです。
清原監督:そうですよね。ニュータウンは計画された街であるにも関わらず、そういう抜け道みたいな場所や、何の場所でもないような空き地が無数にあり、そういうところがすごく面白いなと思います。
五来氏:人工的に作られた街ですが、整備がされ過ぎていないというか、実際に映画の中でもわっさわっさと緑がそよいでいるような、とても楽しい空間でもありますね。
――ここで会場の皆様からもご質問をいただきたいと思います。
土地の記憶や土地性が主軸に据えられて語られた物語と思いました。比較的曖昧な、だからこそ強力なというか強烈な、でも大切な観念を物語るにあたって、今回の役者の方の比較的感情を表に出さない端正な演技指導や端正な演出について、清原監督のお考えをお聞かせください。
清原監督:普通に暮らす人々の日常を映画にしたいという思いがありました。何か劇的なことが起こるわけではないので、日常的なテンションで、ただただ淡々と日々を生きていく人々を念頭に置いていましたし、そういうお話を俳優さんたちとしたり、俳優さんたちが出してきてくれたものを大切にしつつ、一緒に作品を作っていきました。
人間描写や風景描写がとても素敵に描かれていたと思います。それだけではなく、人情的な部分も印象的に描かれていたと思います。多摩の街の良さを最大限に出すために工夫されたところがあれば教えてください。
清原監督:街のことを知らなければ街は描けないと思っていたので、とにかく自分の足で歩くことをたくさんしました。歩くたびに発見があり、歩くこと自体が楽しかったです。色々な方にお話を聞くことも、影響が大きかったと思います。
ロビーでは「たまロケーションサービス」さんから提供いただきましたロケ風景写真と「多摩市デジタルアーカイブ」の過去の写真を組み合わせたB2パネル展示を行いました。(「諏訪名店街」「永山名店街」「諏訪団地」「永山ハイツ」「タウンハウス永山」「ベルブ永山」)
また、ロケ地のお店や施設を実行委員が訪問して体験する取材を行って、その場所の思い出やおすすめポイントを記載したマップにして展示するとともに、ご来場のお客様に配布しました。とても好評をいただき、上映後紹介したお店を訪れたお客様もいらっしゃったようです。
『すべての夜を思いだす』は、チケット発売後1週間で完売となり、満席会場での大盛況なプログラムになりました。ご来場のお客さまからとても嬉しい感想もたくさんいただきました。
一例を紹介させていただきます。
「知っている場所がたくさん映っていた。やはり多摩市は緑が多いなとしみじみ感じた。すべてがうまくいくわけでもなく、いつもの日常。それが良かった」
「多摩市の風景がたくさん観れて、くすりと笑えるシーンがあって良かったです。生まれ育った多摩市の風景を見ているだけで、胸がキューとなりました。途中出てくるホームビデオもとても胸が熱くなりました。鶴牧の方に住んでいるので、諏訪や永山にはあまり来たことはないのですが、青木屋さんに行ってみたいです」
ご来場いただいたお客様、アンケートにご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。また、本プログラムにつき、ご協力いただきましたPFF様、「たまロケーションサービス」様、多摩市中央図書館様(「多摩デジタルアーカイブ」)、青木屋様、多摩福祉亭様、ほっとセンター多摩様、東京都埋蔵文化財センター様などすべての関係者の皆さまに深く御礼申し上げます。清原監督及びゲストの南波克行氏、横溝惇氏、中澤日菜子氏、五来恒子氏には重ねて感謝申し上げます。また機会があれば多摩で上映させていただきたいと思います。