ボクサー、戦いの真実

11月23日 「ボクサー、戦いの真実」 (ベルブホール)

●Time Table●
11:00−11:10
11:10−13:34
14:15−15:45
16:00−17:38
18:00−19:00
『ジム』関係者舞台挨拶
<特別先行プレビュー> ジム
NO SURRENDER 自分にたどり着くまで Boxer飯泉健二
アンチェイン
トーク [TAMA映画フォーラムタイトルマッチ]
 ゲスト:山本起也監督、永伊智一監督、豊田利晃監督

ジム
2001年/16mm/2時間24分
 
監督=山本起也
撮影=内藤雅行、宮武嘉昭、田代啓史、柳田義和
音楽=谷川賢作
出演=北澤鈴春、矢原隆史、清水高志、花形進
ナレーション=寺島進
 
ジム
 
[ストーリー]
 私がボクサー北澤鈴春を初めて見たのは1991年。当時日本ジュニアバンタム級チャンピオンだった鬼塚勝也に挑戦した試合だった。試合は鬼塚が勝ったが、私に強烈な印象を残したのは、敗れた北澤の方だった。その後、北澤は、日本タイトルを獲得するも、初防衛戦を前に、突然の網膜剥離で引退を余儀なくされる。北澤がジムを開いたと知り、いても立ってもいられなくなった私は、ジムを訪れ練習生となる一方で、北澤の育てる4回戦ボクサーたちを撮影し始めた。撮影を続けるなか、思いがけず、ジムの清水、矢原が新人王トーナメントの決勝に駒を進めることになる。決勝戦を前に、私は北澤に現役時代の頃の話を聞く決心をした。怪我をした時のことを多くは語りたがらない北澤……そして、新人王決勝当日。2人の結果は、明暗を分ける。
 2年半後、ボクサーたちは第一線を離れ、それぞれの人生を歩んでいた。一度は日本ランキング入りを果たした矢原も、その後何戦か落としてしまい、ランクから転落していた。再度のランク入りを賭け、元北澤ジムの盟友たちが見守るなか、運命のゴングが鳴った。

NO SURRENDER 自分にたどり着くまで Boxer飯泉健二
2001年/ビデオ/アトレ企画製作協力/(株)グループ現代製作・配給/1時間30分
 
監督=永伊智一
撮影=高橋葉弥、塚田有紀、坂野貴弘、永伊智一
音楽協力=岩永善信
出演=飯泉健二
 
NO SURRENDER
 
[ストーリー]
 連続KOを築き上げていくサウスポーのハードパンチャー、飯泉健二19歳。ずば抜けた強さで観客を魅了した。攻め続けること。それがボクサー飯泉のポリシー。単純明快だが、誰もが真似出来ることではなかった。打たれても打たれても前に出るため、相手のパンチも多く受ける。階級を上げて、さらにKOの山を築き波に乗っていた時、網膜剥離、突然の出来事であった。
 網膜剥離になったボクサーはJBC(日本ボクシングコミッション)からライセンスを取り消され、試合をさせてもらえない。事実上の引退である。しかし、飯泉は当たり前のようにジムに現れては、黙々とトレーニングをこなしていく。
 それから9年という時を経て、飯泉に奇跡が起こる。IBFという新興の団体が復帰を認めたのである。30歳を迎えた飯泉には家族がいた。ファイトマネーもたかが知れていた。なによりも失明の危険性。それでもボクシングが出来る、ただそれだけで充分だった。忘れ去られたボクサー飯泉健二が今、よみがえる。

アンチェイン
2000年/35mm /フィルムメイカーズ、リトル・モア製作/リトル・モア配給/1時間38分
 
監督=豊田利晃
音楽=ソウル・フラワー・ユニオン
編集=日下部元考
出演=アンチェイン梶、ガルーダ・テツ、永石麿、西林誠一郎
 
[ストーリー]
 アンチェイン梶というボクサーがいた。リングネームの“アンチェイン”はレイ・チャールズの名曲『Unchain my heart』からとった。“心の鎖を解き放て!”、まさにその歌のように梶は生きた。戦績、6敗1引き分け。たった1度も勝てなかった。引退後、第2の人生に勝負を賭けようと、大阪の労働者の町、釜ヶ崎で「とんち商会」という会社を設立する。労働者に仕事を紹介する手配師をおもに、殺し以外ならなんでもやった。だが仕事はうまくいかず、浴びるように飲む酒と、ボクシングの後遺症で梶の奇行は日増しにエスカレートしていく。1995年5月5日、ある労働者から梶の事務所に脅迫まがいの電話が何度もかかってくる。「梶いうのはおるか、金払うてくれ」。激昂した梶は頭から黄色いペンキをかぶり、タクシーに箱乗りして、釜ヶ崎労働者センターに殴り込む。たった1人の暴動。殴り込みにいく直前、梶は3人のボクサーに電話していた。弟のように可愛がったボクサーたち。彼らの間には友情を超えた強い絆があった。

●ゲストの紹介
山本 起也(やまもと たつや)監督

 1966年静岡市生まれ。中学生の時、映画好きの叔父の影響で、映画監督という仕事に憧れるようになる。中央大学卒業後、電通プロックス(現電通テック)に入社。企業PR、展示映像の企画演出を担当する。入社1年目に、故瀬川順一氏に出会い、そのドキュメンタリー論にふれたことが、その後の作品の指向に大きな影響を与えることとなる。2000年、電通テックを退社。01年春、念願の長編ドキュメンタリー処女作『ジム』を完成させた。
 
永伊 智一(ながい ともかず)監督

 1965年東京都生まれ。5才で母親と死別し、14才で父親とも別れ、破天荒な少年時代を大阪で過す。映画監督を志し、単身東京に戻り、演劇養成所や劇団青年座の研究生を経て、若松孝二監督の助監督につく。多数の映画やテレビドラマの制作に携わり、その後ジャーナリストとして、数多くのTV番組等を制作する。その他、ミュージシャンのプロモーションビデオも手がける。97年より同作品『NO SURRENDER』の制作に着手。
 
豊田 利晃(とよだ としあき)監督

 11969年大阪生まれ。将棋奨励会に9歳から17歳まで所属する。91年、阪本順治監督『王手』の脚本家として映画界に登場。その後、『ビリケン』(96年、阪本順治監督)の脚本を手掛けたほか、演劇台本や劇画の原作なども手掛ける。98年、『ポルノスター』で監督デビュー。その年の日本監督協会新人賞、みちのく国際ミステリー映画祭'99新人監督奨励賞を受賞する。『UNCHAIN』は監督第2作。