第31回映画祭TAMA CINEMA FORUM
手話を含む多言語が交錯する舞台劇とさまざまな人物から語られる物語が幾重にも重なり、これまで味わったことのない、新しい感性を刺激する映画が誕生した。常に喪失を抱えながら生きる人々は私たち自身であり、その再生への道のりには涙を禁じ得ない。
東京を舞台に、出自も生きる階層(セカイ)も違う二人の女性がその出会いを通して、恋愛や結婚だけではないそれぞれの幸せを見つけ、人生を自らの手で切り拓いていくさまを丁寧に描くことで、生きづらさを抱える人々の心を解放へと導いた。
20代という時季にある恋愛・生活・心の移ろいを、脚本・演出・演者が一体となって緻密に描きだした。日常と地続きのような作品世界は、スクリーンを飛び越えて観客自身の物語と呼応し、誰しも「語りたくなる」ほどの感動を残した。
ヒロイン・いとがコンプレックスの源泉だった津軽弁訛りや三味線演奏に「わあ(自分)」を見い出し、周囲の「けっぱれ(がんばれ)」の声によって爽やかに力強く「いとみち=自分の道」を歩みだす姿が、多くの観客の琴線に触れた。
『すばらしき世界』において、報われない一人の男の美しさ、暗さと人生のさまざまな深遠を憎めない愛らしい一面をも覗かせることで、観る者に胸を締め付けられるような切なさ、虚しさの思いを掻き立たせ、[純真]という秋桜の花言葉の意味を気づかせてくれた。
時代・地域・役柄・作風の全く異なる幅広いジャンルの作品に出演し、日常も虚構も自在に着こなして魅せる個性は、実在の人物のような手触りとともに唯一無二の輝きを放っていた。その陰影は作品の世界観に奥行を与え、観客の記憶には鮮烈な彩りをも残した。
『茜色に焼かれる』において、理不尽な現実を怒りとともに飲み込みながら、愛と未来のために戦い続ける母親を、緩急の巧みさと気迫ある演技で見事に表現した。全身全霊を投じ生き抜くさまを、鮮烈にスクリーンへ焼きつけた。
『花束みたいな恋をした』において、生活のなかにある会話や沈黙、表情、仕草を細やかに表現し、「八谷絹」という一人の女性に命を吹き込んだ。役柄への深い洞察に基づいた体温を感じさせるような演技は、観客を物語に惹きこむ大きな原動力となった。
凍てつく漁港のどんよりとした空の色と吹きすさぶ風音が観客の身に染みるのは、不法労働を強いられる彼女らの視点に立ち、高い倫理観と問題意識によって創られていることに他ならず、国際問題に真正面から挑む創作姿勢が素晴らしい。
『サマーフィルムにのって』において、映画製作に取り組む個性的な高校生たちのひと夏を、SF、ラブコメ、時代劇、友情ドラマなど目が離せない展開により潔いラストまで一気に見せ、映画の可能性と楽しさを明示して観客を魅了した。
『のさりの島』において、悪事に手を染めながらも、本当の孫のように接する老婆に対して生来の優しさを滲ませる青年を繊細に表現した。単純に良し悪しを決められない深みのある人物像を魅力的に創り上げることに秀でていて、ますます目を離せない。
混じり気のないストレートな感情を熱く演じる一方で、複雑な感情のゆらぎといった言葉だけでは表しきれない心の機微をも体現した。その多彩な表現力は作品をより一層魅力的にし、末永く俳優として愛されていくことを確信させる。
『ドライブ・マイ・カー』において、心地よいなめらかな運転同様に相手の心を柔らかく受け止められる女性ドライバーを、感情を表に出さない抑えた演技で体現し、彼女の発する言葉の一つ一つが観客の心のなかで反響した。
『サマーフィルムにのって』において、表情がクルクル変化するかと思えば女子高生のダルさを醸し出し、極めつけはキレキレの殺陣で潔さを表した。我武者羅に役に入り込む伊藤万理華ならではの情熱で、今後どんな表現をするのか楽しみでならない。