第29回映画祭TAMA CINEMA FORUM
映画草創期に撮影所が立ち並んだ京都の街並みを誰かの想いをのせて走る嵐電は映画を撮ること、観ること、生活することという確かな手ざわりを夢幻の眼差しでとらえていた。孤独と向きあいながらも、想像することの尊さに気づかせてくれた。
<長いお別れ>により家族の形態に変化が訪れても、心に刻まれている何かは変わらない。夫婦の深い愛情によって親を敬う心や家族のDNAが育まれるさまを丁寧に描き、演技・台詞・演出の絶妙なブレンドにより至福な思いに観客をあまねいた。
まばゆいばかりに緻密に描かれた雨の描写や東京の街並みは魅惑的で、少年・少女が彷徨っていたその街並みから壮大な天空に放たれた開放感は言葉に表現できないほどの映像体験を観客にもたらし、圧倒した。
昨今の政治的題材に取り組みながら、大きな情勢に翻弄され苦悩する個人に光を当てた人間ドラマを作り上げ、劇場では満席が相次ぎ、終演で拍手が起こるという所謂「新聞記者現象」を引き起こした。
認知症の進行により周囲が見えなくなり言葉や表情が失われていくなかで一瞬みせる敬愛する家族の長としてのお父さんの姿は、観客からも応援したくなる魅力に溢れ、俳優・山﨑努の凄みを感じさせた。
経験に裏打ちされる思慮深さ、知性と品、大人の色気、それらを役柄によって自在に調節し作品のカラーに溶け込む、映画界になくてはならない存在である。また、作品への愛に溢れるふるまいは賞賛に値する。
『長いお別れ』で病が進む老父の傍らで笑い泣きする次女を、『宮本から君へ』で公然プロポーズを意地で撥ね退ける愛しい恋人を、『斬、』で無常の時代に届かない叫びをあげる村娘を。多岐にわたる役柄を演じ分け、観客の脳裏に鮮烈に焼き付けた。
『旅のおわり世界のはじまり』において、右も左もわからない異国の地で孤独感に苛まれるかよわさと、それに対峙してはね返す強靭さを兼ね備える女性像は、女優・前田敦子の資質・魅力と鮮やかにシンクロし、稀有な存在感を放った。
瞬きも出来ないような映像の密度と美しさ、胸を高鳴らせる音楽と言葉、そして語られる闇と光が交差する物語。「新しい映画」の定義を更新し続ける山戸結希監督と同じ時代に生きて最新作を受け取れることはこの上ない希望である。
少年の無垢な思いが神聖な輝きを放ち、セリフはわずかなのに画面が雄弁に語りかけて観客の心を揺さぶる。一方、テーマにアクセントを与える手のひらサイズのイエス様が出現。初の長編作品で崇高且つユーモア溢れる作品を創り上げた才気に感服した。
『愛がなんだ』『さよならくちびる』ではごく身近にいそうな自然な佇まいで役に溶け込み、『チワワちゃん』では誰もが持つ弱い部分を丁寧に演じるなど多彩な表現力で観客を魅了した。
『ホットギミック ガールミーツボーイ』において、冷徹な態度と相反する狂熱な想いを秘めている不器用で一途な少年を、優れた感性と瞬発力で的確に内面を引き出した。 清水尋也にしかない独特な存在感は、何かを起こしてくれそうな期待を抱かずにはいられない。
『愛がなんだ』において、振り切った感情で突き進んでいくヒロイン・テルコを、大胆な立ち居振る舞いと繊細な眼差しで体現し、リアルな恋愛群像劇のなかにキュートな魅力をもって立ち上がらせた。
真実を問いかけ追い続ける真剣な表情・確かな演技力は、言葉や思想を越えて観るものを強烈に作品に引き込み、初出演の日本映画で鮮烈な印象を残した。これからの彼女の歩みの先を期待せずにはいられない。